「考えるな、感じろ!」を深掘り

このセリフは実はブルースリーの、Don't think,feel!から来ているそうです。

今回は人ではないですが、静岡教育サークルのシリウスに掲載されている
記事に関して深掘りしてみます。

制作者:森竹高裕さんという方です。静岡教育サークル/シリウス

 

このサイトは秀逸です。こんな素晴らしい教育サイトがあったなんて。
コラム一つ、各科目指導の一つ一つにしびれますし、全てを思考が深まる
内容ばかりです。

 

ちなみにこのサイトを見つけたのは、今日の神戸新聞のこの記事から。

www.kobe-np.co.jp

 

まずエデュペディアのサイトにとんでから、シリウスのサイトに到着。

 

エデュペディア

edupedia.jp

 

エデュペディアサイトも秀逸です。記事の質が高い。管理者の教育倫理と若い教師の視点で
構成されているのが、教師でない人に対してもとても親切。
生徒が見たりすると、授業のネタバレ、になるのかな?
でも内容は全うだから問題ないか。


冒頭に戻って、シリウスにTOPページで目次を確認すると、まず目を引いたのが

 

 言いたい放題

 

まずこれからライトに読んでいくべきだな、と判断。
いきなり各科目はきつい!

この「言いたい放題」の記事もいい!思想が合う。そう感じました。
またこれに関して記事が書けたらいいなと思います。

それから各科目、というかまだ網羅はしていませんが、国語の項目に入ってみる。

そこで目にとまったのが 「詩」「6年生」「りんご(山村暮鳥)」です。

以下に全文引用してみます。
教師がこの詩をどのように指導するのがよいか?その指導方法をわかりやすく
順序だてて説明しています。

 

りんご 山村暮鳥

 

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 りんご 山村暮鳥 筆者は幸せだろうか? 森竹高裕

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 りんご       山村暮鳥
  両手をどんなに 大きく大きく広げても
 かかへきれないこの気持
  林檎が一つ
 日あたりにころがってゐる

 イメージを広げながら読み取る学習をした。まず詩を読んでから

この詩は二つに分かれます。分かれるところに線を引きなさい。

 全員が「かかへきれないこの気持/林檎が一つ」に線を引いた。

ひとことで言うと前半と後半は、それぞれ何について書いてありますか?

これもすぐにわかった。
  ・前半は〈気持ち〉
  ・後半は〈りんご〉

作者(話者)はどこからりんごを見ていると思いますか? 

 絵を書かせると作者、りんごとも、家の中、家の外といろいろあった。

 
家の中 家の外

 詩へのイメージを膨らませたところで

このとき作者は幸せだと思いますか?幸せではないと思いますか?

 直感で答えさせると〈幸せ〉15人、〈幸せじゃない〉12人だった。
 少し理由を尋ねてみると、どちらの考えも“抱えきれないこの気持ち”を根拠としていた。そこでこの言葉の意味を調べてみた。

 【抱える】
  ①両腕で囲むようにして持つ。
  ②負担になるものを引き受ける。例)乳飲み子を抱える。

 根拠になった言葉をもとに、もう一度考えてみることにした。

 〈幸せ〉15人→5人
•抱えきれないほどの気持ちがあるから幸せ。
•抱えきれないというのは、多分抱えきれないぐらいの夢があると思う。
•自分もりんごも一つ(一つ)で同じ仲間がいて、幸せだと思う。りんごがたくましく生きている。

〈幸せじゃない〉12人→23人
•作者は苦しいことをずっと考えているのでは。りんごもぼくと同じだ。
•りんごを自分の抱えきれない気持ちが同じで、あの転がっているりんごは、自分みたいだな、と思ったと思う。独りぼっち。
•抱えきれないほどのかなしみがりんごに入っているみたいで、私の気持ちが陽当たりに転がっているという風に考えました。

 正解は作者に尋ねてみないとわからないが、作者のエピソードを知ることは考えるヒントになる。作者の暮鳥は、一生を貧しく過ごし、長男を失ったり晩年は病気の治療で苦労するなど、たくさんの困難のあった人生であった。

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私もこの詩を読んで作者は「幸せだろう」となんとなくだけれども感じた。

しかし先生の話を聞いて、作者の背景やじっくり読みなおしてみると、「あ、幸せじゃなさそう」と感じた。
恐らく多くの生徒も私のように感じて、幸せだと最初は思ったが、よくよく考えると幸せじゃないと
約10人の生徒が意見を変更したのだと思う。

これ、大事だなあと。すごくすごく大事な授業をしているなと感じました。

まず最初に詩を読んで感じたこと。 これは読者の価値観、今の気持ちが一番反映している。
つまり、「感じている」。

しかし、作者の背景や先生の話を聞き、その上で詩を読むようになるので、これは考察。
つまり、「考えている」。

どちらが大事、ということを言っているわけではないのです。
どちらも大事なんです。
そして国語という科目はその両方を子ども達に教えてあげる必要があるんです。

自分の価値観で、感じたように文章を読むこと、物語に感動すること。
それはとても必要なこと。何も否定する必要はない。

ただ、子ども達には、理科や算数や社会や他の科目と同じように「考察すること」
この考え方を身につけることはとても重要だし、科目としての国語、入試としての国語は
これを聞いているのだと分けて考える、そのこと自体をしっかりと知っている必要がある。

与謝野晶子はどのような人物であったのか。教科書知識として知っているはずである。
その人物像を知っている前提で試験が出る。
そうするとその人物像、社会背景、もろもろの前提でこの文章は、詩はどのようなことを
言っていると「推し量ることができるか」。

ここがいわゆる学校や入試の国語の問題で聞いていること、なんですね。

私自身もこのブログを書いていて、基本考察をしているスタンスです。
その考察の深さも、その筆者(ブログであれば私)がどこまで世の中の事を知っているか、
見方を知っているか、人物を知っているか、フレームを知っているかで大きく変わってきます。
もちろん考察の中にはどうしてもその判断者の主観が入らざるを得ないですが、
そのまま初見で感じたことよりも、より作者が言いたいこと、には近づきいているでしょう。


このようなサークルの先生方はその辺りを十分理解しておられて、指導もされているのだと
思いますが、そこをきちんと伝えてあげないと、先生の解説を聞いてもまだ
いや、作者は幸せである、と判断した生徒たちがいまいち浮かばれないでしょうか。

自分はこう思ったのに、先生に否定された。いや絶対こう思う。と意固地になる、
国語が嫌いになるかもしれません。

そうではないのですね。初見は自分が読んだままに感じた。
それでいい。
国語という科目では、さらに「考える」「考察する」ことを先生は教えていくのだ、
そしてその違いをはっきりわかった上で君たちは学んでいくのだ、
それを授業の最初、毎回にでも浸透させてあげることができて、より学びの場としての
生徒と先生の信頼が築けるのであろうと思います。


まとめ!

・仕事なんかでも、
回答が分かれることが予測され、かつ自分の言いたいことを相手にわかってもらおうと
する場合には、冒頭にきちんと前提を話し、各人がそれぞれ考えがある上で
理由があってこの流れで進めていく、ということを教えてあげた方が親切!

・考えることも感じることも重要。

大事な場面、決断の時、人との付き合いでは感じること、つまり自分の価値観を

最大限びんびん働かせること、これが重要!

しかしその自分の価値観を深めるため、もしくは単に勉強のため、仕事での

分析のためなどではいろいろな側面を加味して考えること、考察することも重要です!

 

 


ここまで読んでいただきありがとうございました^^