おりこうさんおばかさんのお金の使い方

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

今年は私にとって蓄える年、根をしっかりはる年だと
思っています。
昨年は若干自分探しの旅が入っていましたが、今年は
もう少し腰を落ち着けて生活ができそうに思います。
「片づけの魔法」を行い、何か人生が変わるかなと思っていましたが
運命変わりました!!みたいな大きなことは特にありませんでした。

人生がときめく片づけの魔法

人生がときめく片づけの魔法

ただ、いろいろな事に挑戦したり、いろいろな本を読んだりして、
昨年前半に比べ、この世界を生きていく上で、自分が「かしこくなった」
部分はあると思っています。
また、ずっと探していた趣味といえるものが見つかったのは大きいです。

その伸びかけた根たちを、水を与えて少しずつ伸ばしていく、
そんな年に2012年はしたいと思います。


さて本文です。↓

おりこうさんおばかさんのお金の使い方を読みました。

おりこうさん おばかさんのお金の使い方

おりこうさん おばかさんのお金の使い方

ビジネス賞を総なめにした経営者だったが97年負債総額37億円で
自己破産したという著者。
その経験から現在は企業コンサルタントなどの仕事を行っているそうです。
そんな著者がお金に対する考え方を啓蒙しているのが本書です。

ここ最近経済関係の本から離れていたので、こういった本は久しぶり
なのですが、、
本書以外でも2、3冊読み、お金の話に関しては、本の著者がどういう立場の人で、
どういう経験に基づいて本を書いているかということで本当に全く
書いている内容が全く違うなあ、、と。


私は本を読むときに、著者がどういう思いで、この本を書いているのか、
どういうことを読む人に伝えたいと思っているのか、
その思いの部分を重視します。

私にとって共感できる本というのは、その著者が自分の持っている能力を
最大限に発揮して他の人に対して貢献しようと思って書いているものです。

前述の「呪いの時代」の文が上記内容を的を射た表現で述べられているので
引用します。

呪いの時代

呪いの時代

――「ノブレス・オブリュージュ」という言葉があります。
一般的には、貴族(ノブレス)は、普通の人よりも重い負荷を
引き受けなければならないという意味で使われます。
でも、僕の解釈は少し違います。
万人はそれぞれ固有の仕方で「ノブレス」であるというのが僕の
解釈です。すべての人間の中にはさまざまな種類の「他人には
できないことが自分にはできる、他人にはわからないことが
自分にはわかる」という固有の能力があります。(中略)
 もし自分以外、誰も気がついていないことに気づいたり
自分だけにしか見えないものがあれば、皆に知らせる義務が
僕たちにはあります。力のある人は腕力を、知力のある人は
知識を、目がいい人は視力を、鼻がいい人は嗅覚を、隣人のために
捧げる。これが、僕の考える「ノブレス・オブリュージュ」です。

――ここに腕力の強い人間がいて、おのれの力を誇示し、他人を威嚇して
金品を奪っていたとする。これは許しがたいことだと誰でもいいます。
逆に、その例外的な筋骨の力を使って、足弱な人の荷物を代わって持って
あげるとか、道に倒れている木や岩を取り除いている人がいれば
「正しい使い方をしている」と思う。単純な理屈です。でも、同じことを
知性についてあてはめようとすると、ほとんどの人は同意してくれない。
知力だって筋力と同じだと僕は思います。たくさんある人はそれを使って
困っている人の荷物を持ってあげればいい。それが知性のいちばんまっとうな
使い方ではないですか。おのれの知力を使って人を圧倒したり、論破したり
揚げ足を取ったり、あるいは鮮やかな弁舌でトリッキーな議論を駆使して、
自己利益を増大させるのは知性の人間的な使い方ではないと僕は思います。
(中略)自分に例外的に与えられた能力は、それを持たない人たちの役に
立つように使うべきです。それを持たない人たちを見下したり、その
アドバンテージを利用して金儲けをするために使うものではない。


このように内田氏は述べているわけです。
非常にまっとうな考えを持っている方であると思います。
いわゆる「お金儲け」と対極の考え方だとは思いますが。
世の中は上記のアドバンテージで商売をしている人は多いと
思うので。

本題に戻りますが、このように、自分の持っている能力を
社会に提供するというスタンスでもって、「おりこうさん
おばかさんのお金の使い方」が書かれていると思ったので
私は共感した、ということです。

内容としては、投資などに関して経験済の方にとっては
当たり前のことが多くかかれているのかもしれません。
ただ私にとってはためになる項目が多々ありました。

一番参考になったところは、「金融雑誌の記事や新聞広告
に大々的に出ている金融商品はすでに売り手である金融のプロ
たちがさんざんおいしいところを食べつくした後の『残りかす』である」
という部分でしょうか。

上記をご存じなかったという方にとってはご一読いただきたい
本であると思います。

ただやはり、すべてが本書の通りであるとは思いません。
「うまく商売をしている」会社や商品に関しては本書の内容は当てはまると思います。
しかし実際には、原価割れしていたり、苦しい経営を行っている会社
(つまり商売が上手ではない)だったりする場合には、こんなにも上手に
消費者からお金を巻き上げてはいないと思います。
つまり、商売が下手な会社が実は良心的な会社である、ということが
実はあるのではないかと思ったりしました。

また、以前読んだ「いちばん安心できる「お金」の授業」でも書いてあった部分、

いちばん安心できる「お金の授業」

いちばん安心できる「お金の授業」

最たる「投資」とは、たくさん資産を蓄えることではなく、どういった社会情勢や
身辺環境になったとしても、「稼ぐ力があると思える自分になること」である、
というところが本書にもあり、やはりそうなのだな、と再確認しました。

自分はこれでなら稼いでいける、生きていけるという力。
何も新しいことを考えなくても、皆自然と自分の中にその力が備わっているのではないか。
気づいていないだけで。

そんな風に思いました。