初めて神田氏が話しているのを見ました。

http://www.ustream.tv/channel/phpinstitute-tv

2022―これから10年、活躍できる人の条件 (PHPビジネス新書)

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なんだか感激でした。
実際に講演会に応募したんですが外れたので
家事の合間に視聴。

逆に外れてよかった。
ユーストリームでも楽しめました。
時間が効率的に利用できてよかった。

有名人の講演会は費用が高いのが当たり前ですが
神田氏は安価で、かつユーストリームでも提供しているところが(無料)
彼がいかに自分の考えや思いを伝えたいかということを感じます。

視聴していて思ったことは、神田氏は特別話し方が上手ということではない、
むしろ癖がある。
しかし私にはそれよりも感じ入るものがあった。
なぜか。

その答えが、以前書いた、内田樹氏の言葉の中にある。
「究極的に『わかりやすい』とは何か?」

呪いの時代

呪いの時代

内田氏曰く、本当にわかりやすい話し方、伝え方とは、
話者本人に、「私は何としても伝えたいことがある」という意思の強い
話し方のことだという。

話しの内容は何を言っているかわからない、でもこの話者は
とにかくこれを伝えたいんだと言っている。
そのことが聞き手を能動的な聞き手にする。
そうすることで、究極的には、わかりやすい話になる、という。
(※神田氏の話の内容はわかりやすかったですよ)

つまり、熱意。情熱。熱い思い。
感情が言葉に乗るということ。
それが相手にとって「あなたがわかる」「あなたの言っていることがわかる」ということになる。

そのような部分で、
神田氏の話には彼の思いがあり、気持ちが言葉に乗っていたと思う。


ちなみに内田樹氏は、教育とは根本的にはそのような感情が
元ではないかと言っています。

最終講義?生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)

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教育とは、まず「学びたい」という人がいて始まるのではない。
教育とは、まず「教えたい」という人がいるから始まるのだ、と。
「教えたい」というおせっかいな人間がいることで始まる。
教育とは基本的におせっかいなことである。
そして教育とは、学ぶ人間におせっかいを行うことで始まるが
決して彼・彼女の手を引っ張ってあげることはない。
むしろそれを行ってはいけない。
教育とは、門を開き、WELCOMするが、手を伸ばしたところで
突き放すものである。
教えてあげますよ、でも、
手をつないで歩いてはあげない。
這い上がってきなさい。ついてきなさい。
「自分で」学びなさい。

教育とはそのようなものだと言っています。

とても、共感できる、と私は思います。