訪問がキャンセルになったので老い支度してみた
朝一訪問が予定外にキャンセルになったので自宅兼オフィスを断捨離する事にした。
先日実家より大量の青春の思い出品をもってかえってきていたのだ。
ずっと絵を描くことが好きだったので、大量の絵、漫画、イラストの数々、、。
最初に見返した時には思い出が詰まりすぎて、全く捨てられないな、、と
再度段ボールの中にしまい込んだのだが、昨日ふち思いたった。
「老い支度」ってなんだろうか、と。
少し検索してみたりして、、
自分なりに少し理解した。「自分が死んだときに、見られて恥ずかしいものは整理しておくべき」、、、、。
なるほど。
自分がいつ死んでもいいようにしておくのは手だなと思った。
なんだが自分の考え方にフィットするし、何かかっこいい気がするし、
ユダヤ人なんかは常に追われる立場であったから、大事なものは全て頭脳にしまい込んでいて、手持ちの品などはすごく少なかったそうだぞ、、だから頭脳にしまい込める「教育」には熱心なのだ、、、
なんて昔読んだ本の内容を思い出したりなんかして、一気に断捨離を進める事にした。
だいたい過去の遺物は捨てるに捨てられないけど人には見られたくないものだから、
段ボールに「私が死んだら捨てて下さい」と貼り紙しておこうかなんて話していたようなものなのだ。
読み返すのも膨大な時間がかかるし、今読み返してみると当時は自分すごいかも!って思っていた事が本当に大したことないなと身に沁みるし、クラス文集なんか読み返すと「この子こんなにしっかりした文章を書くんだ」「この子、多分うちよりきっと苦労したんだろうな」とか、当時は全く感じもなかった事が、クラスの子の文集の文脈からにじみ出て、何となく自分が恥ずかしくなる。
今は連絡を全く取っていないし、中学で明らかにグループが変わってしまった子とも小学校の時は仲良くて。当時は大好きだった。毎日遊んでいた。少し切なくなった。今はもう話せないのかな、って。
小学校の事も鮮明に覚えている事は覚えていて。
学級通信を読むと当時の担任の先生の苦労が垣間見える。大人になったからこそ親の気持ちがわかる年齢になったからこそだと思う。
母親との交換日記が出てきたり。これはもう目頭が熱くなる。母が私くらいの年齢の時にこんな事を考えていたんだなと。(これは捨てられない)
はっきり言って思い出品の整理はとんでもなく精神的エネルギーと使います。
ただまあ、この調子でやっていけば10分の1以下のサイズには断捨離できそうです。
悩みどころは漫画原稿、、B3?サイズだし厚紙で重くて大きい。
これをこのまま保存はほんとかさばる。自宅プリンタではこのサイズのスキャンができないし。写メしてデータ保存が今のとこ有力な選択肢か・・?と思っています。
いつの間にやらお昼の時間になってしまったけど、洋服の断捨離も終了し、今日はこの思い出品が片付けば最高かな。
今年の残る目標は11月末までに大掃除を完了させること。
私らしく淡々と進んでいます。