台湾 女性総統の誕生② 台湾・台北の発展と馬英九氏
馬英九総統について確認していきたいと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E8%8B%B1%E4%B9%9D
馬英九氏
馬英九氏の祖籍は中国湖南省だが、1950年に台湾に移住しています。
国立台湾大学法律学院法律系(法学部法学科)卒業。ニューヨーク大学大学院修士課程及びハーバード大学大学院博士課程を修了しています。博士課程修了後はニューヨーク市内の法律事務所で弁護士として活動しています。
1981年に帰国してからは、政府の要職を歴任し、1998年、当時の現職・陳水扁を破り台北市長に当選しました。
→台北は台湾の首都ですから、台北市長に当選するということは、東京都知事になったようなものですね。ただ総統選挙は国民が直接指導者を選挙する直接選挙ですが、日本は直接内閣総理大臣を選挙したりしない間接選挙なので、台北市長→総統選においてはこの点は違いますね。
ところで、台北とはどのような都市なのか確認しておきましょう。
人口は261万人以上とのことで日本の人口13位の京都府くらいの人口です。
ちなみに都道府県別上位はこちら
写真でもアジア屈指の世界都市であることがわかります。
台北はなぜここまで発展してきたのでしょうか?
1683年の清朝当時時代には、海運から台湾の3大都市まで発達しました。
本格的に発展したのは、1895年からの日本統治時代で、総督府を台北に置いたところから現在の台北の発展が始まっています。
台北に関わらず、
台湾自体の発展はどこにあったのでしょうか。
その部分も押さえておきたいと思います。
台湾は、1960~1975年に起きたベトナム戦争にてアメリカが戦略物資を台湾から調達したため、台湾経済は飛躍的に発展しました。このころより主な輸出先が日本からアメリカに移行し、台湾自体も軽工業から重工業へ転換を図っています。重工業自体も国営や大陸中国主体の重工業化であったため強い国際競争力を持ったものではありませんでしたが、在米華僑の力が強く影響し発展します。
台湾は日本経済と相似している部分があり、それは技術力、工業生産力をいかし世界市場で優位に立てる製品を開発提供することによって外貨を獲得することです。日本と異なる性質の点は漢民族の伝統やアメリカの影響、国民性としての起業志向が強いことです。優秀な人材ほど起業を行い、個人主義的な性格があります。華僑ネットワークを利用した世界戦略という点も大きな強みです。
馬氏の経歴に話を戻します。
台北市長時代は台北市全域の無線LANの整備、下水道整備の普及、スポーツ施設整備などのインフラ整備に力を注ぎ、士林官邸、七海官邸、孫運璿旧邸、李国鼎旧邸、嚴家淦旧邸、錢穆旧邸などの文化財保護事業に力を注ぎました。また国民党主席の連戦が辞任を表明すると、党内の高い期待を背景に2005年7月16日に行われた国民党主席選挙に出馬します。
汚職裁判にかけられた時期もありますが、無罪を勝ち取り、その後2期にわたって台湾の総統として従事します。
2期目の総統選挙では、「三不」スローガン(台中統一も台湾独立も武力行使もいずれも行わないというスローガン)を打ち出して戦いました。
方針としては親中派で、中国との連携を強めることで、台湾の発展は導かれるという立場を取ります。
2014年3月18日、大陸中国との関係を強化する、海峡両岸サービス貿易協定に反対する学生が立法院を占拠する事件が発生し、300人ほどの学生が議場を占拠し、立法院の周りにも数千人から数万人の支持者が集まるというひまわり学生運動が起きました。
これは社会運動へと発展し、学生たちは協定の審議やり直しと馬英九との公開討論を求めていましたが、馬英九政権は応じていません。
中国資本が参入することで台湾の経済が飲み込まれてしまう、最終的に統一につながるという強烈な危機感が学生を動かした事件です。日本の若年層にはない政治参加意識、パワーがあり、日本は若年層に関わらず、事件という体裁を取らずとも政治参加意識はもっとあるべきとつい考えてしまう出来事です。
尚、領土問題や日本の台湾統治の歴史、治安問題などを通じ、日本に対しては批判的な立場を取る人物であると言われています。
選挙に関して国民の声も入った現地感がかわるかわりやすい動画が
NHKで上がっています。次回では以下を参考にしながら、台湾の現状と
選挙の争点をおさらいしていきたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます^^